県道名古屋豊田線へ入ると旧飯田街道と交差し、参道から山門を見渡すことができます。山門の両脇は土塀で囲まれた境内地があり、山門の右手には地蔵尊が祠に安置されています。
このお地蔵さまは「さくら地蔵」といい子育て地蔵として地元の人々には信仰され子育て中の母親たちには幼児に必要なお乳が豊富にでることで知られています。
また祠の中には「願掛け地蔵」も安置されており、お地蔵さまを抱き上げることができれば願い事が叶うとされています。
山門右手前には桜が「さくら地蔵」に因んで3月末から4月始めにかけて満開に花を咲かせます。
山門を入ると左手にはトイレと水屋が列び、その奥には春先に「さんしゅゆ」が黄色い花をつけます、右手には樹齢不詳の樹高が十数㍍の銀杏が秋には見事なほどの黄葉が見れます。
その奥には鐘楼堂(鐘楼は太平洋戦争に供出されたが昭和63年にお檀家の方々により新鋳造)があり大晦日には除夜の鐘が近隣の人々により煩悩の数108を新年を挟んで撞かれています。
山門から正面の本堂までは数十㍍であり、春にはサツキが赤、白と満開に咲きます。また椿の盆栽があり、まだ木としては小さいですが数十種類の花が交互に咲き乱れていきます。
本堂の中に入ると正面に浄土宗の本尊である阿弥陀如来が鎮座し、両脇には観音菩薩、勢子菩薩が安置されています。その両隣に右は高祖善導大師、左は法然上人が祀られています。
右脇内陣には当郷中にあった片坂教会の本尊阿弥陀如来立像、左脇内陣には地蔵教会の本尊地蔵菩薩が安置されており、両本尊共いつの時代に建立されたものか未だ不明とされています。
本堂の右にはお庫裡が本堂に連なって建っています。本堂左側から裏に回ると長善寺歴代の住職の墓地とその一帯に檀信徒の墓地があり、日々それぞれ人々によりご先祖等に対するお墓参りがなされています。
その北側は田んぼであり離れて愛知環状鉄道が走っています。
山 門(さんもん)
浅瓦葺一間薬医門両袖塀付き、昭和11年建立されました。
鐘楼堂(しょうろうどう)
切石基壇の上に建てた入母屋造棧瓦葺、昭和22年正月に再建され、当初の梵鐘は文政年間(1819~1829)の作で、現在は昭和63年作の梵鐘になります。
子育てさくら地蔵尊
このお地蔵さまは「さくら地蔵」といい子育て地蔵として地元の人々には信仰され子育て中の母親たちには幼児に必要なお乳が豊富にでることで知られています。
祠の中には「願掛け地蔵」も安置されていて、お地蔵さまを抱き上げることができれば願い事が叶うとされています。
本堂